三線の起源
三線は、今から3~4000年前エジプトでその原型らしき弦楽器ができ、その後中近東を経て東へ進み中国大陸の東南部(現在の福建省)の弦楽器「三弦」が直接のルーツとされています。
沖縄への伝来は、伝承では察度王時代(1392年)に明から洪武帝の命により閩(ビン)と呼ばれた現在の福建省から多くの学者や航海士などの職能集団(閩人三十六姓)が帰化する以前に琉球に持ち込まれていたといいます。
その後、日本でいう永禄年間初頭(1558年または1559年)に泉州(現在の大阪府南部)堺へと伝わり、日本本土の三味線の起源となりました。
各部の名称
三線の各型について
1.南風原型(ふぇーばるがた)
もっとも古い型といわれています。
南風原という名称は、三線作りの名工の名に由来します。
棹は細目で、天の曲がりが少なく、野坂は大きく曲がり、野丸は半円形です。
006 山原産黒ゆし木 南風原型 人工皮張り
2.知念大工型(ちねんだいくがた)
三弦匠主取に任命された知念の作です。
※三弦匠主取(さんげんしょうしゅどり)1710年に設置された三線専門の役職で、三線を製作する「三線打(うち)」を管理する役職。知念は初代三弦匠主取。
太棹です。
天の曲がりは大きく、中央に稜線があります。天面も広く、天と鳩胸は盛り上がっていて、野坂は短く、野丸は丸味をおびています。
016 山原産相思樹 知念大工型 本張り
3.久場春殿型(くばしゅんでんがた)
久場春殿の作で、南風原型の系統です。
沖縄の三線の中でも最も太めの棹です。
天の曲がりは小さく、薄手です。
棹は上部から下方へと次第に太くなり、野丸と鳩胸の区別がほとんどできません。
012 琉球かし 久場春殿型 本張り
4.久葉ぬ骨型(くばぬふにがた)
久場春殿の作です。
棹が最も細く、久場春殿型とは対照的です。
南風原型をひと回り小さくしたような感じです。
横から見ると、クバ(ビロウ)の葉柄に似ているところから、この名がつきました。
026 山原産島くるち 久葉ぬ骨型 人工皮張り
5.真壁型(まかびがた)
名工といわれた真壁の作です。
棹は細目です。点は中弦から曲がり、糸蔵が短くなっています。
三線の型のなかでも、最も優美といわれています。
「開鐘(けーじょー)」とよばれる名器は、真壁型に限られています。
夜明けにつく寺院の鐘のことを開鐘あるいは開静鐘(けいじょーがに)といいます。
夜明けの鐘は遠くまで響き渡るので、それにちなんで、真壁型のすばらしい音色をもつ三線のことを「開鐘」と命名しました。
002 山原産黒ゆし木 真壁型 上等本張り
6.平仲知念型(ひらなかちねんがた)
平仲の作です。
棹は細目ですが、鳩胸には丸みがありません。
天は湾曲が大きく、中央はやや盛りあがっていて、丸みをおびています。
知念大工型の系統です。
7.与那城型(ゆなぐしくがた)
真壁と同時代といわれる、与那城の作です。
棹は太目です。天は糸蔵の先から曲がり、範穴はやや下方に開けられています。糸蔵は長く、鳩胸も大きめです。
この型は、小与那城型、江戸与那城型、佐久川の与那型、鴨の口与那城型の四つに分かれます。
003 山原産黒ゆし木 与那城型 上等本張り
005 山原産黒ゆし木 鴨の口与那城型 上等本張り